代表取締役 髙畑高嗣

リングアンドリンク株式会社のインタビューに基づき作成しています

不動産業界に入ったきっかけは?

大手製造会社に勤めていたんですが、ある研修で不動産会社の社長さんに知り合って、「不動産はグレーな印象でしょ?でもしっかりやればやるほど信用が付いてくるし、面白い仕事やで」という話を聞いて興味を持って。ちょうど仕事で先を考えていたところで、やりたいことが見つかったら独立してやりたいと思っていたこともあり、不動産業に転職しました。

社員時代はノルマが厳しくて、売上げがないとクビっていう会社でした。
僕は最初、全然売れなかったんですけど、独立が目標だったのでとにかく言われたことをしっかりやって、夜遅くなっても帰る前にチラシをまくなんてことを地道に続けていて。それを社長が見ててくれて「必ず売れるようになるから様子を見てやれ」と残してもらい、1年くらいたった頃、チラシまきのお客さんからつながって契約が取れるようになっていきました。
売れるようになって手ごたえをつかめてから、「お客さんのために」ということをすごく考えて動くようになりましたね。
そうするとまた「リフォームしたい」とか「息子が結婚するから」とか色々つながってくるようになって。

「お客さんの方を向いて仕事をしていたら数字はついてくる、このやり方だな」と自信になりましたし、独立しても目先の数字じゃなくて、絶対にお客さんがついてきてくれる仕事をしていこうと思いました。


語る代表取締役

みつばちハウジングはどんな会社ですか? 心がけていることは?

独立した当初は会社を大きくしたいと思ったこともありましたが、不動産会社として生き残っていくことを考えると小さくても堅実にやっていこうと。
だから裏も表もなく、お客さんの方を向いた仕事をするというところは常に心がけています。

僕は右京区に家族で住んで商売をしているのでお客さんと生活圏が一緒だし、この先もずっと仕事を続けていきたい。
だから無理をして売っても続かないので、いい話も悪い話もしっかり伝えて無理のないローンを組んでもらって、そして長いこと右京区に住んでもらって。
「京都で一番ありがとうと言われる会社」になるために、あり続けるために、お客さんに喜んでもらう仕事をする。当たり前のことを徹底してやり続けるということはずっと大事にしたいと思っています。

右京区をよくしていきたいという思いもあって、少しでもできることをと始めた子ども食堂の活動も続けています。
自分で会社をやってから、我がことだけ大事というのでは何か足りない、豊かと言えないんじゃないかと考えるようになって。一人の力ですべて救えるわけじゃないけど、気づいた人が手を差し伸べることで一助になればという思いです。

子ども食堂の活動を通じて同じ思いを持つ方々とつながりができたり、ソーシャル企業認証も受けていますので、地域貢献の活動も地道に続けていきたいですね。


仕事中の様子

不動産業をしていて一番うれしいことは?

やっぱり「ありがとう」って感謝されることです。
不動産業って結婚するから、離婚したから、親が亡くなったからなど人生の節目に関わることも多いので、そうした時に力になれること、身の回りに幸せな人が増えるのはすごくうれしいです。


笑顔の代表取締役

みつばちハウジングのこれからは?

とにかく会社を続けていくことです。

これまでご縁のあったお客さんも、取り引きした不動産会社につぶれてほしくないと思いますし、会社がちゃんとしていないと子ども食堂も続けられない。そういう公的なことへの責任もありますから、無理をせず堅実にしっかりやっていきたいですね。

だから「お客さんに心から喜んでもらえる仕事をする」ことをこれからも徹底してやり続けていくつもりです。


スタッフ

お問い合わせやご契約を検討されているお客様へ

一人一人のお客様にしっかり向き合って「良いものは良い!悪いものは悪い!」とアドバイスさせていただきます。

不動産会社に相談することを不安に感じる方もいると思いますが、みつばちハウジングはお客様に喜んでいただきたいし、
ありがとうの言葉をいただきたいので、しつこい対応は絶対にしません。

右京区の不動産のことならどんなことでも安心して、まずはご相談いただけたらと思います。

バスフィッシング

趣味や休日の過ごし方

キャンプや釣りなどのアウトドアが好きで、バスフィッシング歴は40年以上です。映画鑑賞や読書をすることも多く、歴史小説や村上龍の小説やマンガではジョジョの奇妙な冒険が好きです。

尊敬している人

大きなことを成し遂げた坂本龍馬はやはりすごいと思います。出口王仁三郎、石田三成、鍋島直茂も尊敬する人ですね。

座右の銘

「心だに 誠の道にかないなば 祈らずとても 神や守らん」菅原道真の詠んだ歌で、心が誠の道からはずれていなければ、神に祈らなくても加護があるものだという意味です。何事においても「誠実に正直に」そういう生き方や自分の在り方をしたいと思っています。