嵐山こども食堂講演会ROAD 第5弾 長岡京ガラシャ祭イベント編



 

2023年秋からスタートした嵐山こども食堂の「講演会ROAD」全合計15回のインタビューと講演会&イベントの第5弾に出掛けてきました。

 

昨年の2023年10月から今年の春にかけて全合計15回のインタビューと講演会&イベント予定が入っています。

 

この日は第5弾のイベント会場、京都府の長岡京市で開催されていた「長岡京ガラシャ祭」に出掛けてきました。

 

JR長岡京駅の会場周辺にはフードトラックも立ち並び、テントでのお店の出店もたくさんありました。

 

雰囲気的にはマルシェの感じですので、じっくり下見も兼ねて会場を見て廻ります。

ステージでは歌あり、踊りあり、笑いありで、人も大勢集まっておられます。

 

やはり歴史があるとある程度の人数は集まりますね。

 

食べ歩きが主体ですが、アクセサリーや手芸品もたくさん並んでます。

 

長岡京ガラシャ祭のガラシャとはクリスチャンだった「細川玉」さんの事です。

 

父・明智光秀と母・熙子の間に三女として生まれた、玉。

天正6年(1578年)、玉は織田信長のすすめにより、細川藤孝の嫡男・忠興に輿入れしました。

当時の滋賀・坂本城から京都・長岡までの行程を、多くの家臣を連れて行列してきたと想像されます。

その後2年ほど勝龍寺城で新婚生活を送ったと言われています。

天正10年(1582年)に、光秀が起こした本能寺の変により、玉の人生は一変します。

丹後の山奥に幽閉され、家族とも引き離されました。その後許しを得て大坂の細川屋敷へ戻ります。

そこでキリスト教に出会い、改宗し、その名を「ガラシャ」(“神の恵み”という意味)としました。

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの前哨戦で、石田三成勢は徳川方についた細川家の妻・ガラシャを人質に取ろうとします。

しかし、ガラシャはこれを拒否。家臣に介錯させ、壮絶な最期を遂げたと言われています。

その際に、「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」(花も人も散るべき時を知っているからこそ美しいのだ)という大変有名な辞世の句を詠んでいます。

ガラシャの後半生は苦難に満ちたものでしたが、現在の長岡京市域は短いながらも幸せな思い出のある地であったのではないでしょうか。

 

我が家のご先祖様が細川家に仕えていたご縁もあり、初めて長岡京ガラシャ祭を見学させていただいたことに感銘を受けました。

 

今回この「長岡京ガラシャ祭」にイベント出店されておられた伏見区深草の「キンパ サラン」様より、たくさんのヤンニョムチキン弁当、キンパやチャプチェの差し入れを嵐山こども食堂に戴きました。

 

下の写真の左側が焼肉キンパで、右側が元祖キンパです。

 

キンパと一緒にチャプチェもたくさん付けてくださってます。

 

本当にたくさんのチャプチェやキンパ、ヤンニョムチキン弁当を御寄付くださいました。

 

「キンパ サラン」様は京都市伏見区深草にお店を構えておられ、伏見にある「力の湯」併設の「じねんと市場」にも商品を卸しておられます。

 

【京都市伏見区】伏見に韓国ブームきてる!? 竹田にオープンしたキンパ サランのミニキンパがかわいい♪(まえちん) – エキスパート – Yahoo!ニュース

 

早速、いつも嵐山こども食堂でお弁当を注文してくださるお客様中心に配らせていただいたところ

 

「最近近所でスーパーも閉まって買い物するところが減ってるのでお惣菜は凄く有難いです」

 

と言われる方や

 

「キンパは近所ではなかなか売ってない」

 

「スーパーで時々見かける」

 

「生まれて初めてチャプチェを食べました」

 

「娘がキンパもヤンニョムチキンも大好きなんです!」

 

と、大勢の方に凄く喜んでいただきました。

 

本当にありがとうございます。

 

下の写真、会場では「おんわ」というお名前で他のお店と合同で出店されておられました。

 

お店には韓国の焼き立ての「チヂミ」もあって、買い求めておられる方が大勢おられました。

 

下の写真、経営者ご夫妻には嵐山こども食堂に温かいメッセージをたくさん戴きました。

 

本当にありがとうございます。

 

これからも頑張ってください。

 

応援しております。

 

長岡京ガラシャ祭も年々規模が大きくなり、内容も充実しているようです。

 

知り合いの出店者様とも話が出来て良かったです。

 

今回はもうすぐ開催されるマルシェや販売イベントの下見も兼ねてましたが、次回はイベント出店者としてじっくりお祭りを楽しみたいなと思いました。